少数派ならいいということではありません
私が感じる「時代を作る人」というのは、いつでも少数派の人たちだ。多数派というのは、その瞬間、まさに流行しているモノやコトを謳歌している人たちで、少数派というのは、そこを目指していない、または避けている人たち。
そうなると、少数派の人たちと意見交換をすると、時代の未来が見えてくる。
多数派ができる仕組み
人は他人が使っている、素敵だと思っていることに安心する。いわゆるバンドワゴン効果で多数派が生まれる。また、現代では、モノやコトが流行し始める初期段階で、マスコミや個人SNSがそれをこぞって紹介するので、そのモノやコトに対するコンテキストが世の中でビッグバン的にシェアされ、より多数派が生まれやすい。例えているなら、インスタで「映える料理」を発見した後、実際にそのお店に行って、インスタで見たものと同じものを注文して、既に知っているはずの料理の実物確認をして「かわいい!」と予定調和的に感激し、写真を撮って自分のアカウントにアップする。そしてさらにシェアが進み、多数派は生まれるのだ。
少数派ならいいというものではない
とはいえ、少数派ならどんな人でも時代を作っているということではありません。少数派の中でも、モノやコトの陳腐化・劣化を見越して、あえて多数派が支持するものを避けて次を模索している人は、時代を作っているといえるのではないでしょうか。一方で、少数派の中にも時代を作ることを目指していない「生来の少数派」がいて、そういう方は次の時代の模索をしないので未来を作っているというわけではない。作るつもりもないだろう。
つまり少数派の人なら、誰でも時代を作っているというわけではない。そういう帰納法的な考えてはなく、時代を作る人は結果的に少数派ということだ。
少数派の人が持つ力
少数派の人が持つ、もっとも強力な能力は「時代を俯瞰する力」だと思う。少数派の人には見えていて、多数派の人には見えないものはたくさんある。
時代を作っているモノやコトへの問題意識も高く、不満を抱いている。だから、こうしたい、ああしたい、という欲求があり、それを具現化して、結果的に時代を作っている。
見えているものが違う人と仕事をすることが難しい
時代を作る工程として、社内外を問わず「たくさんの人たち」と協力していかないといけないのだが、いかんせん、その「たくさんの人たち」の大部分も多数派なので、共感を得にくい。多数派の人にしてみれば、まだ世間でコンテキストがシェアされていないモノやコトのことはよく分からないから、現状から変える理由も分からないし、それが本当にお客様からの支持が得られるかどうかも不安なので、共感を得にくくても仕方がない。その結果、すれちがってしまう人間関係もある。
見えているものが違う少数派と多数派が一緒に仕事をすることは難しく、つまりは、新しい時代を作ることって難しいなぁと思う。でも、だからこそ面白いし、できたものはどこにもないようなものができあがるのだ。