国指定重要文化財
萬松園(ばんしょうえん)は、日本初の女優「川上貞奴」が晩年に建てた別荘です。人並み外れた感性が注ぎこまれた歴史的価値・芸術的価値の高い建築物です。2018年8月17日には国の重要文化財に指定されました。
所在地 | 岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町3-82-2 | ||||||
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員 数 | 3棟 | ||||||
構造・形式 |
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築年数 |
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文化財指定 | 2007年8月 各務原市指定 2018年8月 国指定 |
萬松園は、日本初の女優である川上貞奴が、正月・5月・9月の不動尊の月に、貞照寺に参詣するために建てられました。国の天然記念物「名勝木曽川」の区域内にある1000坪の敷地に、建坪150坪、26室(玄関、広間棟・仏間・客間棟・浴室棟・茶室・田舎家棟・台所・女中部屋棟)を雁行型に配置した、他に例を見ない鋳鉄製桟瓦葺の建物です。
部屋はどれひとつとして同じ意匠(デザイン)の部屋はなく、貞奴ならではの細やかなこだわりや美意識が投影されています。また、建築当時から電気設備が施設され、水洗トイレ、ボイラー付きの風呂など、昭和初期の最先端設備を備えております。
東京生まれの貞奴が鵜沼の地に邸宅を建てた背景には、福沢桃介とともに関わった木曽川の電力開発を通じた、この地への追慕の念があると考えられ、大きな歴史的価値を有する点に特色があります。
また、建設当時の様相が今も維持され、風呂、トイレ、台所など裏向きの部分まですべて現存していて、貞奴の晩年の暮らしぶりをうかがい知ることができることも貴重です。建物の外観や凝った内部意匠など、建物自体に高い建築的価値を有していることと合わせ、文化的価値は実に高いと言えます。
川上貞奴年表
1871年 | (0歳) | 東京日本橋両替商「越前屋」の12人兄弟の末っ子として生まれる |
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1878年 | (7歳) | 芸者置屋「濱田屋」の養女に |
1894年 | (23歳) | 川上音二郎と結婚 |
1899年 | (28歳) |
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1900年 | (29歳) |
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1901年 | (30歳) |
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1902年 | (31歳) | 神奈川県茅ヶ崎に「萬松園」を建て住む |
1903年 | (32歳) |
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1907年 | (36歳) |
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1910年 | (39歳) | 大阪帝国座落成 |
1911年 | (40歳) | 川上音二郎と死別 |
1913年 | (42歳) | 大阪帝国座を手放す |
1914年 | (43歳) | 東京・名古屋・大阪・神戸を巡業 |
1917年 | (46歳) | 明治座にて引退公演 |
1918年 | (47歳) |
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1925年 | (54歳) | 川上児童楽劇団養成所落成 |
1926年 | (55歳) | 二葉館を退去 |
1929年 | (58歳) | 各務原市に萬松園を建設 |
1933年 | (62歳) |
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1945年 | (74歳) | 萬松園・貞照寺を売却 |
1946年 | (75歳) | 永眠 |
重要文化財とは、建物、土木構造物およびその他の工作物のうち、次のいずれかに該当し、かつ各時代または類型の典型となるものです。
(1)意匠(デザイン)的に優秀なもの
(2)技術的に優秀なもの
(3)歴史的価値の高いもの
(4)学術的価値の高いもの
(5)流派的または地方的特色において顕著なもの
萬松園は女優として活躍した川上貞奴が、貞照寺に参詣するための別荘として建立しました。この邸宅は名勝木曽川の指定地内に位置し、敷地からは木曽川の雄大な景勝を望むことができます。
主屋は「玄関・広間部」「仏間・客間部」「田舎家部」「家政部」などからなり、各部屋の 襖床・柱・天井などに、「数寄屋」「中国趣味」「農家風」などの趣向が異なる意匠をみることができます。屋根は鋳 鉄製の桟瓦で覆われており、独特の外観を印象付けています。また、貞奴が滞在するための私的空間と、接客用の空間を併せ持ち、各室を雁行型に配置することで、木曽川の眺望や採光、通風も確保しています。
様々な伝統的技法や工芸技術が駆使されており、指定基準の「意匠的に優秀なもの」にあたると評価されました。
毎月1~2回の見学会を開催しております。ご見学は完全予約制となっております。迎賓館サクラヒルズ川上別荘までお問い合わせください。