1つの要素にフルコミットできる忍耐力があるのかな?
人とは
〇生物としての人
〇社会学的な人
〇経済活動としての人
があると思う。
そして大切なのが、
このうちのどれが1つ欠けても、
ほとんどの人は生きられない、
ということです。
コロナウィルスについては「生物としての人」が危機になっている。
でもそれだけをフォーカスして、他の2要素を軽んずるような風潮でいいのでしょうかね?
無人島でひとり(社会性なし)
自給自足で生きている人(経済活動なし)
↑こういう人は「生物としての危機」にフォーカスした生き方をすることができます。
しかし、コロナ後に人々とふれあい、お金を介して社会生活をしようと思っている人は、3要素をバランスよく考えないといけません。
それを看過して、1つの要素だけにフォーカスした正義感をかざし「意識が高い」と勘違いし、残りの2要素は国や自治体、会社など他者が何とかしてくれるという「意識の低さ」は危険だと、ホーチミンの現状を見て思います。
ベトナムは1つの要素「生命の危機」に対してフルコミットした政策をとっているようい見えます。経済なんて知ったことかと言わんばかりです。
おかげでベトナムは疫病は封じ込めた。
同時に経済はズッタズタになった。
でもベトナム人はそこから何度も這い上がっている国民性がある。
家を失えば友だちと一緒に住めばいい。
食べるものがなければ近所と分け合えばいい。
毎日同じ衣類でもいい。
生活のために子供も働く。
底なしの忍耐力や相互扶助の国民性ありきの封じ込め政策だった。
同じ政策を日本で実施したらどうなるか?
自力で這い上がれる忍耐力がベトナム人ほど高くない日本社会は、混乱したり、ネガティブな状況に進みかねないと、思えてなりません。1つの要素だけにフォーカスした正義感は、中期的に考えると、日本には向いてないと思います。
だから、3要素をバランスよく考えると同時に、私たち国民個々が強くなっていかないと、と思う。
もちろんフェーズによって、重要度の順番がつくのは当然。しかし、同時に考えないといけないことがあると知りながら、そこから目を背けて「なんとかなるでしょ」と高をくくっていると、とんでもない目に合うのも事実ですしね。難しいものです。